跳ね馬(はねうま)・牛形
残雪が形作る「妙高の跳ね馬」は、頸城平野一円から見ることができる。躍動感ある姿は美しく、上越地方を代表する雪形である。近年は「跳ね馬」の呼称が一般的に用いられるが、各地域にはさまざまな呼称が存在している。
「跳ね馬」は、妙高山(2454m)の外輪山である神奈山(1909m)の北東側中腹に出現する。上越市中心部や妙高市新井の市街地からは妙高山と重なって中央に見える。
昔は農作業の目安とされた跳ね馬であるが、最近は郷土のシンボルや季節の風物詩として取り上げられることが多い。
◆さまざまな呼称がある「跳ね馬」
「跳ね馬」の呼称は、上越市飯、上越市中郷区西福田、妙高市五日市など広い範囲で確認できた。
その他の呼称としては、妙高市下十日市で「春駒」、上越市中郷区岡沢、妙高市関山で「馬形(まがた)」、妙高市葎生で「馬形(まがた)」の呼称を確認できた。このほか「跳ね駒(はねこんま)」「跳ね駒(はねごま)」などと呼ぶ人もいた。
旧高田藩士が編集した「越後頸城郡誌稿」(明治34年刊)に「牛形残雪」のことが出てくる。雪形のことである。
「山腹ニ例年牛ノ走ル形を顕す。明光山(妙高山のこと)ノ牛形トテ当郡七不思議ノ一タリ」とある。
上越市十二ノ木の古老(故人)は「跳ね馬のことを、子供のころから牛と呼んでいた」と証言していた。「川東(関川から東側)では、牛と呼んでいたところが多いはず」と言っていた。
ゴールデンウイーク前後、跳ね馬の形をよく観察すると、頭部にはっきりとした角があるのが分かる。背中も高く盛り上がっている。首はやや長いものの、牛と見ても不思議ではない。昔は農耕に牛を使うことが多かったので、牛と見るのは不自然ではない。
馬形・牛形
妙高山の外輪山である神奈山(1909m)には馬と牛の雪形が多数出現する。
一般的に雪形は農作業開始の目安にすることが多いが、妙高市の旧妙高村では「馬形」(跳ね馬)を山菜採りなどの際、場所の目安にもしている。馬形付近は良いタケノコが出る場所だという。
「牛形」もある。5月中~下旬、馬形の右上に隣りあって出現する。関山付近からしか見えない雪形である。
5月中旬になると「馬形」「牛形」の姿はぼんやりしてくるが、左上に馬の首の形をした別の「馬形」が出現する。
2つの馬形が出る沢を「馬形の沢」と呼び、「頂上に近い所に、もう一つ馬の首の雪形が出る」とし、計3つの「馬形」の存在を話す人もいる。
これらの馬形、牛形は、すべて黒く現れるのが特徴である。
山の字
妙高市の長沢や旧妙高村などから、妙高山(2454m)の山頂付近に、5月中旬から6月上旬にかけて、「山の字」が望める。
白く残った雪が、筆で描いたように力強いタッチで「山」の字を描いている。
妙高山の代表的な雪形「はね馬」が消え、山肌の雪がまばらになったころに現れる。
旧妙高村では「木曾義仲が山の字を彫らせた」「元は妙高山という字だったが、噴火で吹き飛ばされて山だけになった」などの伝承がある。
江戸時代後期の浄土真宗の僧、了貞が著した「二十四輩巡拝図会」の第5巻(1803年刊)に、この山の字雪形が出てくる。
「きさらぎの頃 雪の解けかたには山の字を顕せるを往還の旅人眺めて殊に奇とせり」と書いてある。
神奈山の馬形・牛形
アワまき坊主
妙高市杉野沢(旧妙高高原町)から見る妙高山には「アワまき坊主」が、5月中旬から6月上旬にかけて現れる。ポジ形の白い雪形である。
杉野原小学校の畑付近で良く見える。
住民に聞くと「アワまき坊主が出るとアワをまいた。昔はアワ飯ばっかり食べていたもんです」と話してくれた。
杉野沢民俗芸能保存会は「昔から伝わるものを残そう」と、この雪形の伝承にも力を入れている。
大ネズミ
妙高市田口(旧妙高高原町)では、妙高山の外輪山である神奈山(1909メートル)に出現する「博労の大ネズミ」の雪形が伝わる。
住民の話では「子供のころ、大ネズミが出たら田んぼに水入れるぞ、と言われていた」という。
なぜ、牛馬の売買をする博労の名が付いたのかは不明だという。
田口駅や妙高北小学校から良く見える。
赤倉の温泉街から、すぐ近くに見えるが、知っている人はいなかった。
雪形は農作業との結びつきがないと、伝承されないようだ。
一本杉
妙高市長沢の馬場平には5月中旬~下旬、妙高山の外輪山である神奈山(1909メートル)に「一本杉」、あるいは「杉の木」の雪形が現れる。
馬場平に上がると、妙高連峰が遠くに望め、「一本杉」は正面に見える。
沢の残雪が杉の木の形に見えるポジ形の雪形である。
地元に人によると「妙高に杉の木が出たら、田んぼの準備を始めたもんだ」という。